利家とまつの歴史概略




和暦西暦主なできごと参考(引用)文献
天文071538是歳。前田利家尾張愛智郡荒子に生る。 父を縫殿助利春といひ利家はその第四子なり加賀藩史料
天文161547前田利家夫人芳春院、 尾張海東郡沖之島に生る加賀藩史料
天文191550是歳。前田利家夫人芳春院来嫁す加賀藩史料
天文201551前田利家が織田信長に仕え、 領地50貫を得る石川県の歴史
天文201551前田利家始めて出陣し、 信長に従ひて尾張海津の戦に首級を得たり加賀藩史料
天文201551是歳。前田利家元服して孫四郎利家と称す。 織田信長の伯父津田孫三郎信家が烏帽子親たり、 故にその偏称偏諱を取る加賀藩史料
弘治021556信長の弟信行攻めで敵将宮井勘兵衛の首級をあげて前田利家が百貫の加増を得る(この時眼下に矢傷を受ける) 加賀藩史料
永禄元1558「槍の又左」こと又左衛門と前田利家が名乗る 石川県の歴史
永禄021559前田利家の女幸姫生る。 母は芳春院なり加賀藩史料
永禄021559前田利家織田信長の同朋十阿弥を殺害し、 為に謹を蒙る加賀藩史料
永禄031560前田利家私に桶狭間の役に従ひ、 敵首を獲て之を織田信長に献ず加賀藩史料
永禄031560前田利春(利家の父)没し、 尾張荒子の観音寺に葬る加賀藩史料
永禄041561美濃斎藤氏攻略の功で信長の勘気が解け、 前田利家は300貫の土地が加増される石川県の歴史
永禄051562前田利長(2代藩主)が荒子城で誕生前田利家物語
永禄051562前田利長尾張熱田社に参詣す加賀藩史料
永禄051562前田利家織田信長に従ひて美濃に入り、 軽海に戦ひて功あり加賀藩史料
永禄061563前田利家の女蕭姫生る加賀藩史料
永禄071564前田利家織田信長に従ひ、 斎藤龍興を美濃稲葉山城に囲み、力戦して功あり加賀藩史料
永禄081565畠山義則が酒色に溺れて越中へ追放される石川県の歴史
永禄101567織田信長材武の士を簡びて赤幌黒幌諸騎を置く、前田利家赤幌に列す加賀藩史料
永禄111568前田利家織田信長に従ひて近江箕作城を攻め、 敵首を得、又創を蒙る加賀藩史料
永禄121569前田利家織田信長に従ひて伊勢大河内城を攻める加賀藩史料
永禄121569兄利久に代りて宗家を継ぎ、 旧禄に併せて2450貫を食む加賀藩史料
元亀元1570富樫晴泰、 一揆に攻められて自害 石川県の歴史
元亀元1570前田利家近江長浜に封ぜられ、 一万石を食む加賀藩史料
元亀031572前田利家諸将と近江金ケ森の賊を撃つ加賀藩史料
元亀031572前田利家織田信長に従ひて、 近江虎御前山に陣し、浅井長政を攻む加賀藩史料
元亀031572是歳。 前田利家の女摩阿姫生る加賀藩史料
天正元1573前田利家、 諸将と共に浅井長政を近江小谷城に攻む。是日長政自殺し浅井氏亡ぶ加賀藩史料
天正元1573前田利家諸将と共に、 三好左京大夫義継を河内若江城に攻めて之を亡す加賀藩史料
天正元1573前田利家母長齢院没す。 次で荒子観音寺の塋域に葬る加賀藩史料
天正021574是歳。 前田利家の女豪姫生る加賀藩史料
天正031575前田利家織田信長に従ひて発し、越前の賊を撃ち、遂に進みて加賀に入る加賀藩史料
天正031575前田利家越前府中(武生)に封ぜられ、 3万3千石を食む(不破河内守・佐々内蔵助の両3人をば柴田為目付両郡申付置候)加賀藩史料
天正031575是歳。 前田利家配下の将士漸次越前府中に移り住す加賀藩史料
天正051577前田利家諸将と共に出陣し、 加賀に赴きて上杉輝虎を拒がんとす。 後戦わずして帰る加賀藩史料
天正051577是歳。 前田利家の女與免姫生る、 母は芳春院加賀藩史料
天正061578前田利家織田信長に従ひて、 荒木村重の摂津高槻城討伐の為に出陣す加賀藩史料
天正061578是歳。 前田利家の子利政生る。 母は芳春院加賀藩史料
天正061578是歳。 前田利家の女菊姫生る。 母は隆興院加賀藩史料
天正071579前田利家織田信長に従ひて、 摂津伊丹付近に陣す加賀藩史料
天正071579前田利家織田信長に従ひて、 播磨に出陣す加賀藩史料
天正081580前田利家の女千代姫生る。 母は芳春院加賀藩史料
天正081580前田利家羽柴秀吉に副として発し、 因幡鳥取城を攻む加賀藩史料
天正081580金沢御坊が陥落し佐久間盛政の居城となり、 尾山8町が栄える 石川県の歴史
天正081580佐久間盛政加賀国を領し、 本願寺を毀ちて居城を築き、尾山城と稱へたり稿本金沢市史
天正091581前田利家織田信長の命を奉じて、 上杉景勝の兵を撃退せんが為、 越中に出陣す加賀藩史料
天正091581前田利家織田信長の命を奉じて、 上杉景勝の兵を撃退せんが為、 越中に出陣す加賀藩史料
天正091581前田利家に能登一国が信長より与えられる(一族や生まれ育ってより気のおけない荒子衆や信長に仕えて以来の府中衆が前田家の家臣団の主力を構成し、 尾張荒子から越前府中→能登七尾へと移動を通して急速な膨張・発展を遂げた)石川県の歴史
天正091581是歳。 前田利家の世子利長、 織田信長の命を承けて其第5女と婚す加賀藩史料
天正091581所口(七尾)小丸山に新城を築きだす石川県の歴史
天正101582前田利家、 検地を実施石川県の歴史
天正101582越中富山神保長住の家臣乱を為して城を奪ふ。尋いで前田利家諸将と共に之を討す加賀藩史料
天正101582能美郡山内の一向一揆滅亡石川県の歴史
天正101582長連龍能登鳳至郡棚木城を攻めて長景連を誅す加賀藩史料
天正101582是より先、 前田利家諸将よ共に魚津城を囲みしが、この日(6/2)城遂に陥る加賀藩史料
天正101582前田利長、 織田信長に召されて京師に赴きしが、此日瀬田に於いて本能寺の変報に接す加賀藩史料
天正101582前田利家越中魚津を出発して七尾城に帰る加賀藩史料
天正101582羽柴秀吉その養女豪姫を宇喜多秀家に嫁せしむべきを約す。豪姫は前田利家の女なり加賀藩史料
天正101582前田利家石動山を攻撃し、 佐久間盛政金沢より来り之を援く加賀藩史料
天正111583近江柳ケ瀬に於ける柴田勝家の軍敗れ、 前田利家府中に退劫す加賀藩史料
天正111583前田利家羽柴秀吉の軍に従ひて加賀金沢に入る加賀藩史料
天正111583前田利家羽柴秀吉より加賀石川・河北二郡を増賜せられ、利長は松任四万石を受く加賀藩史料
天正111583前田利家入城し藩府を開くに当り、 尾張・越前二国より来り聚まる者愈々衆く、 田畑を廃し村落を移して第宅を建て、尾張町・新町・橋場町等の街巷を作り、 武家商舗錯綜して市区稍々拡まる稿本金沢市史
天正121584是より先佐々成政、 前田利家の子利政を己の養子とせんことを約し、 此日(26日)結納を贈る加賀藩史料
天正121584佐々成政の茶坊主養頓金沢に来りて、 村井長頼の臣小林弥六左衛門に成政の陰謀を密告す加賀藩史料
天正121584前田利家の女菊姫逝去す加賀藩史料
天正121584奥村永福の守備する能登羽咋郡末森城、 佐々成政の為に攻撃せらる加賀藩史料
天正121584前田利家、 佐々成政の軍を末森に破る加賀藩史料
天正121584七尾の将前田安勝等、 佐々軍の能登鹿島郡勝山砦を襲ふ加賀藩史料
天正121584前田利家、 佐々軍に属する加賀河北郡鳥越城を攻撃す加賀藩史料
天正121584前田秀継・利秀父子、 加賀河北郡倶利迦羅に出でて佐々成政の将佐々平左衛門と戦ふ加賀藩史料
天正121584観世流波寄信治を能方に召す(2代利長の時、 波吉と改める) 石川県の歴史
天正131585前田利家越中礪波郡蓮沼に入りて民屋を火き、 佐々氏の軍と戦ふ加賀藩史料
天正131585佐々成政加賀石川郡鷹巣城を襲ひ、 前田利家等尾撃して数十級を獲加賀藩史料
天正131585前田利家兵を出して、 加賀河北郡鳥越城の佐々勢を攻む加賀藩史料
天正131585前田利家兵を率ゐて越中射水郡阿尾城を収め、 諸将をして同郡氷見を火かしむ加賀藩史料
天正131585佐々軍の加賀河北郡鳥越城及び倶利迦羅を守るもの、前田氏の勢盛なるを見て守備を撤して去る加賀藩史料
天正131585佐々成政の将佐々平左衛門、 前田秀継等の守れる越中礪波郡今石動城を襲ひ、 秀継のために逆撃せらる加賀藩史料
天正131585佐々成政の部将神保氏張を出し阿尾城を襲ひ、 前田勢纔かに之を撃退す加賀藩史料
天正131585七尾守将前田利好等、 佐々軍の能登鹿島郡の荒山城を拔く加賀藩史料
天正131585前田利家、羽柴秀吉を金沢城に迎ふ加賀藩史料
天正131585羽柴秀吉、越中呉服山に陣し、 佐々成政降を容る加賀藩史料
天正131585羽柴秀吉、前田利家に羽柴筑前守の称を譲り、 越中三郡に前田利長を封ず加賀藩史料
天正131585越中礪波郡木船地方大に震ひ、 前田秀継之に死す加賀藩史料
天正141586上杉景勝金沢に至り、 翌日前田利家大に之を饗す加賀藩史料
天正151587佐々成政肥後に移され、 前田利家命によりて仮にその旧領越中新川郡を領す加賀藩史料
天正151587前田利家の兄蔵人利久没す加賀藩史料
天正161588前田利家命を受けて、 京師大仏殿(方広寺)の釘を製するが為、 農民の有する刀剣類を徴す加賀藩史料
天正161588高山右近を秀吉のバテレン追放令(同15年)によって、 前田利家が加賀に引き取る(右近はその家族とともに前田氏頂けの形であったが、事実はすぐれた客将として金沢に移った)金沢城と前田氏領内の諸城
天正181590前田利家参議に任ぜられ、 正四位下に叙す加賀藩史料
天正191591前田利家参議を辞す加賀藩史料
天正191591前田利家加賀・能登二国の間に於ける伝馬人足徴発の法を定む加賀藩史料
文禄元1592前田利家京師に赴き、 金沢に留守せる利長をして城塁を築かしむ加賀藩史料
文禄元1592前田利家(秀吉の朝鮮征伐のため)備前(九州)名護屋に至り、城北に陣す加賀藩史料
文禄元1592前田利家、 豊臣秀吉より征明都督たることを命ぜられ、日を期して将に海に航せんとす加賀藩史料
文禄元1592豊臣秀吉、 前田利家に書を与えてその征明都督たることを免ず加賀藩史料
文禄021593前田利家、 豊臣秀吉より征明都督たることを命ぜられ、日を期して将に海に航せんとす加賀藩史料
文禄021593前田利家の女與免姫没す加賀藩史料
文禄021593前田利家の子利常(3代藩主)金沢城に生る加賀藩史料
文禄031594前田利家、 従三位に叙せらる加賀藩史料
文禄031594前田利家、 権中納言に任ぜらる加賀藩史料
文禄031594前田利家、 権中納言を辞す加賀藩史料
文禄031594前田利家の兄、 安勝没す加賀藩史料
文禄031594前田利家、 金沢犀川・浅野川両大橋の架替に関して、書を町奉行に与ふ加賀藩史料
文禄031594前田利家、 金沢町年寄の伏見に来たり、 犀川・浅野川両橋の改修を命ぜられたるを謝し、 白銀を献じたるを嘉す加賀藩史料
文禄031594前田利家山城伏見より金沢に帰り、 その従者途に傷けらる加賀藩史料
文禄031594是歳。 前田利家の子利孝生る(後の七日市藩祖)加賀藩史料
文禄031594浅野川大橋が犀川大橋と共に始めて架設せられたる稿本金沢市史
文禄041595是より先陸奥会津城主蒲生氏郷卒す。 豊臣秀吉、 徳川家康及び前田利家に命じて、 その国政を監せしむ加賀藩史料
文禄041595前田利家、 豊臣秀吉の為に召されて登城する。この日、 関白秀次廃せらる加賀藩史料
文禄041595是より先、 豊臣秀次の伏見第を前田利家に与えらる、利家この日移り住む加賀藩史料
文禄041595是歳。 前田利長、 左近衛権中将に任ず加賀藩史料
慶長元1596前田利家、 権大納言に任ぜられ、 その臣下にして諸大夫となるもの二人を加ふ加賀藩史料
慶長元1596是歳。 前田利家白山比め神社の社殿を再興す加賀藩史料
慶長元1596この頃より、 制札の類悉く金沢町と記したり。 尾山の名は是より廃れたれど、 猶近郷の民の言葉に留り、 今に至るまで往々尾山と呼ぶ者あり稿本金沢市史
慶長021597前田利家、 権大納言を辞す加賀藩史料
慶長021597本願寺教如金沢に寺院(東別院)の建立を命ず加賀藩史料
慶長021597前田利長、 参議に任ぜらる加賀藩史料
慶長021597前田利長、 越中守山城より富山城に移る加賀藩史料
慶長021597是歳。 前田利政、 能登口郡(羽咋・鹿島)に封ぜらる加賀藩史料
慶長031598前田利家老を告げ、 封を子利長に譲る。ここに於いて利長権中納言に昇る加賀藩史料
慶長031598前田利家、 書を加賀河北郡森下の紺屋孫十郎に与えて、自今専ら藩用の染色を司らしむ加賀藩史料
慶長031598豊臣秀吉、 伏見城にて薨<みまか>る加賀藩史料
慶長031598是歳。 前田利家の女副姫、 長好連に嫁す加賀藩史料
慶長031598前田利長、2代藩主となる石川県地名大辞典
慶長041599前田利家大阪にて薨<みまか>る(行年62歳)加賀藩史料
慶長041599故前田利家に従一位を贈り賜ふ加賀藩史料
慶長041599前田利家の葬礼を宝円寺に行ひ、 尋いで城南野田山に葬る加賀藩史料
慶長041599徳川家康伏見より大阪に至りしに、 その夜豊臣氏の奉行等<前田利長の異図あることを告ぐ。 次いで家康利長を疑ひ、 予め小松城主丹羽長重に先鋒たるべきを命ず加賀藩史料
慶長041599前田利長越中に行きて放鷹し、 その讒<ざん>を構えられたる報を宇喜多秀家より得。 次いで横山長知を大阪に遣はして徳川家康に分疏せしめ、 芳春院を江戸に質たらしむべきを約す加賀藩史料
慶長041599前田利長、 権中納言を辞す加賀藩史料
慶長041599高山右近の采配によって、 城郭の縄張や城外の周囲を取り巻く堀(内総構堀=内堀)が完成(城地を拡張して新丸を設け、 大手門を造営する)金沢城と前田氏領内の諸城
慶長051600村井長頼将に芳春院に隋ひて江戸に赴かんとするを以て、子長明之を訪はんが為、 金沢を発す加賀藩史料
慶長051600芳春院(利家夫人松子)徳川氏に質たらんが為、 伏見を発し村井長頼及び諸証人等之に隋ふ加賀藩史料
慶長051600前田利長、 加賀河北郡森下村孫二郎を以て、 金沢の染工を統べしむ加賀藩史料
慶長051600芳春院、 江戸に着す加賀藩史料
慶長051600関ヶ原の戦い石川県の歴史
慶長051600金沢城が大火に罹る金沢城と前田氏領内の諸城
慶長061601徳川秀忠の女珠姫、 金沢にて前田利常に入輿す加賀藩史料
慶長071602天主閣に落雷、 金沢城を焼く(以降、 天主閣は再建されず)石川県の歴史
慶長081603前田利家の女(豪姫)壻、 宇喜多秀家薩摩より護送せられて伏見に着す。 尋いで駿河久能山に幽し、 後八丈島に流さる加賀藩史料
慶長081603前田利家の女(豪姫)壻、 宇喜多秀家薩摩より護送せられて伏見に着す。 尋いで駿河久能山に幽し、 後八丈島に流さる加賀藩史料
慶長091604前田利家の女蕭姫没す。 蕭姫は臣中川光重の妻なり加賀藩史料
慶長101605前田利常、 3代藩主となる(利長は富山城へ隠居)石川県の歴史
慶長101605前田利家の女、 摩阿姫没す加賀藩史料
慶長141609富山城災あり。 前田利長、 難を同国魚津城に避く加賀藩史料
慶長141609前田利長、 高岡城に移徒す加賀藩史料
慶長151610芳春院夫人の建立したる能登鳳至郡総持寺の山門成る加賀藩史料
慶長151610是歳。 金沢城の外壕成る加賀藩史料
慶長181613前田利常夫人、 亀鶴姫を生む加賀藩史料
慶長191614前田利長、 高岡にて死去(行年53歳。 高岡にいた家臣団が大挙して金沢に移り、高岡町となる)石川県の歴史
慶長191614芳春院夫人、 江戸を発して金沢に帰り、 利常の母寿福院代りて徳川氏に質となる加賀藩史料
慶長191614黎明加賀の兵、越前・彦根の士卒と共に大坂城を攻撃し、徳川家康の譴を受く加賀藩史料
元和元1615前田利常金沢を発して大坂夏の陣に臨む加賀藩史料
元和元1615徳川家康、前田利常の軍功を賞して感状を授く加賀藩史料
元和元1615前田利常の子光高(4代藩主)生る加賀藩史料
元和021616前田利家の女、 幸姫没す。 幸姫は前田長種の室なり加賀藩史料
元和021616前田利孝が加賀藩支藩の上州<現群馬県富岡市>・七日市藩主となる(一万石)加賀藩史料
元和021616前田利次(利常次男・母天徳院・富山藩祖)が金沢に生まれる加能郷土辞彙
元和021616夫人(芳春院)金沢城内で病死する前田利家物語
元和041618前田利治(利常三男・母天徳院・大聖寺藩祖)が金沢に生まれる加能郷土辞彙
元和061620前田利家の女、 福姫没す加賀藩史料
寛永081631前田利常の生母、 寿福院(徳川氏の質)江戸邸にて没す加賀藩史料
寛永091632前田光高、 徳川家光の養女大姫と婚を定む加賀藩史料
寛永091632是歳。 金沢城内へ犀川の水を引く。 辰巳用水といふものなり加賀藩史料
寛永101633徳川家光の養女大姫、 前田光高に入輿す加賀藩史料
寛永161639前田利常が光高に封を譲り(4代藩主)、富山(次子利次を初代)・大聖寺(末子利治を初代)両支藩作る石川県の歴史
寛永171640仙叟宗室が来藩(この地で宮崎寒雉<鋳物釜>・大樋長左衛門<楽焼・大樋焼>を指導した)金沢町人の世界
寛永171640前田利次が富山城に入る富山県の歴史
寛永181641大僧正天海、 前田氏の出自を源氏に定むべきことを利常に勧告す加賀藩史料
寛永191642金沢町の諸法度を定めて之を令す加賀藩史料
寛永201643前田光高の長子綱紀(5代藩主)、 江戸に生る加賀藩史料
正保021645前田光高(4代藩主)が江戸にて死去石川県の歴史
正保021645前田綱紀が5代藩主となるが、 幼少のため利常が後見役となる石川県の歴史
慶安041651改作法に着手石川県の歴史
万治元1658前田利常が(小松城にて)死去石川県の歴史
万治元1658会津候保科正之、 前田綱紀の後見となる加賀藩史料
平成111999前田利家没後400年の墓前祭が野田山で行われる尾張町商店街資料
平成122000「利家とまつ」NHK大河ドラマに放映決定(2002年)尾張町商店街資料
平成142002第51回百万石行列に荒子小学校生徒(男21・女25名)が犬千代隊として参加尾張町商店街資料
平成15200310月15日、八・九代様の二百五十年祭が野田山にて行われる尾張町商店街資料
平成20200803月08日、成巽閣の梅の木が中川区JR高畑駅前の前田利家公銅像横に植樹されるため嫁立つ尾張町商店街資料
平成20200811月01日、三代前田利常没後350年の墓前祭が野田山で行われる尾張町商店街資料